直心とは、「唯摩経」の「菩薩品」に出てくる言葉である。
自己を見つめる道場はどこにあるか!
との問いかけからなっている。
つまり直心とは「ものごとをありのままに純粋に、素直に受けとる心」のことである。
この素直な心を磨く心は、道場に限られず、生活の場でどこでも可能ということである。(藤原東演師,あたまの整理から)
ひとつの場所で結果がでないと直ぐに場所を変えてしまう。
ちょっと試しては、うまくいかないと、また移る。
ご時世と言ってしまうかも知れないが今、ここで生かされている自分を見つめることが重要なのである。
自然のなかで、人との付き合いのなかで、作物を育てながら、また祈りのなかで、ここが自分の生きる場所としてすべてを丸ごと受け入れることから「学び」が始まる。
私たちは、自然と共に生活をしていることを忘れている。 地球温暖化による世界規模の変化、異常気象による農産物の被害や海水温上昇による魚獲量の変化は、私たちの生活を脅かしている。
例えば、干魃や水害による農作物の被害は作物の激減となり、大豆・トウモロコシなどの穀物量の 減少は、動物飼料にも影響を及ぼし、間接的に私たち日常生活に悪影響を及ぼしている。
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一つの「言葉」との出会いによって、人生が大き く変わることもある。ましてや「人との出会い」 によって、どん底から這い上がるきっかけになることもある。人生というのは一人旅である。
しかし一人では生きられない。互いに励まし合ったり助け合ったりしながら人は生きてゆく。そういう本当の仲間がいることが、尊い人生だと私は考えている。
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「農作業から人生を学ぶ、人生を考える」という教義を成就寺では説いている。
この教義の中に、畑にトマトやキュウリなどの初物ができると真っ先にご本尊様に供え、そこからさげてきて皆でわけていただくという教えも伝えている。何か大きな力の前に敬虔にひざまずき、それに守られ、それによって生きるという筋金が一本、動かないものとしてなくてはならないからだ。
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仏前に座ってみる。合掌して、ゆっくりと頭を下げてご本尊の顔をみる。 静寂の中、あなたは何を「お祈り」しているのだろうか。
ゆっくり鐘をたたく、灯明をつけ、線香をたむける。
あなたは何を祈ろうとしているのか、「仕事がうまくいきますように」「病気が治りますように」「試験に合格しますように」と、これは「祈り」ではなく「お願い」をしているのである
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