《祈りに学ぶ・20無》

2018年6月6日

祈願護摩行をしているとき、また読経のときなど、

私は「無我の境地」になる。

なにも感じないし、なにも考えない。

ただただ、お経を読んだり、真言を唱えたりして

没入するだけ。

次第に「無我の境地」に入って行く。まったく自分

の居所もなくなって、突然われにかえる。

今のは「何だったのか!」

そのようなことの繰り返しで、いまの自分があるのです。