2016年7月7日
本山を建立して今月で満十八年になり、あっという間に月日が経ってしまったように思います。
寺を建立したいとの願いを胸に、四国遍路の巡拝を始めました。二年後が高野山1150年の御遠忌、今年が1200年の御遠忌です。
その当時、治療院の患者さんたち、また遍路仲間には将来《寺》を建立する、と私の《夢》を語っていたのです。
そうした仲間の先輩たちはもう他界しておりませんが、護摩堂の中に吊るされている吊り灯籠には名前が書き込まれています。
深夜、独り静かに護摩を焚いていると、先輩たちの思い出が走馬灯のように浮かんできます。
《大きな敷地に寺を建て、農業をやるんだ!》
《自然界を大日如来と考えているんだ!》
と治療院でも四国遍路でもいい続けていたのです。
今、丹法山の副住職をしている浜野克峰さんは40年来の仲間であり、お互いに亡き先輩たちを知る人でもあります。
80歳、70歳代に近ずいた二人ですが《夢を実現する》ことの案件がまだまだあるのです。
銀座四丁目に別院を建立しましたが、銀座にホテルを建てるのが最後の《夢》です。
ホテルの最上階に護摩堂を造って、護摩の煙りを銀座に流したいと考えているのです。
《夢》は勝手に去って行くことはしません。また壊れることもしないのです。夢は私から逃げたりしません。
逃げるのはいつも自分であり、自分自身が夢の前から去って行くだけなのです。
弘法大師の吽字義(うんじぎ)に
《一心の虚空はもとよりこのかた常住にして不損不減なり,,.》とあり、この事は
自分から逃げたりしないかぎり、必ず実現可能になると教えているのです。
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